TRACコーチ 大西正裕

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TRACの大西です。
世界陸上も終わってしまい寝不足から解放されたものの寂しさはあり、複雑な心境です。

さて、今回は「なぜボルト選手の負けたのか?」を過去のデータと比較し検証していきます。

検証するにあたり、まずはボルト選手について改めて紹介したいと思います。

 

100m:9秒58 現世界記録 (200m・400mリレーも世界記録を持つ
身長/体重:196cm / 91kg
最大速度:秒速12.34m (時速44〜45km程度)
100m歩数:41歩
一歩の平均ストライド:約2.44m (最大時2.99m)

2m近い身長に、3m近い大きなストライドで走り、3つの世界記録を有するボルト選手はまさに“バケモノ”と呼ぶにふさわしい規格外の選手です。02年のU20世界選手権に15歳で出場し、年上の選手を破り優勝。ジュニア時代から将来を嘱望される選手でした。ジュニア時代から活躍からすぐにシニアでの活躍が期待されましたが、怪我に悩まされタイトルは遠いものでした。

08年北京五輪。その時はきました。ゴール20m手前から大きく手を広げて「No.1」であることを誇示しながらの優勝。驚きは“そんな走り”なのに、当時人類初の9秒6台となる世界記録で駆け抜けました。この結果、陸上界に留まらず世間的にも「世界一のスプリンター」として認知され始めていきました。翌年の09年のベルリン世界陸上では、前年の勢いをそのままに自己の持つ世界記録を9秒58まで短縮。現在も9秒5台の記録を持つのは、ボルト選手ただ一人です。以降、持病の脊柱側湾症がボルト選手の故障の連鎖に陥れます。思うように走れない間に、若手の選手が達が台頭し始めました。迎えた12年のロンドン五輪では、周囲の不安を他所に圧倒的な走りを見せ、自己の世界記録に僅かと迫る好タイムで優勝し、現在も五輪レコードして残っています。

ボルトの全盛期はいつかと答えに詰まりますが、上記の期間は少なからず全盛期に当たると言えるしょう。

ボルト選手の全盛期で時のレースと今大会のデータが下記になります。

10m毎の通過タイム、区間タイムと疾走速度を表にまとめました。レース毎に気象条件も違うので一概に比較するのも難しいですが、そのあたりを今回は考えずに検証していきたいと思います。

 

2008—2012年は前半の50mを5秒50前後で通過し、4秒1〜2で後半をカバーしていました。それに対して、今大会では前半を5秒64、後半を4秒31とそれぞれ0.1〜2秒近くタイムを落としています。前半の加速が後半のスピードに関係してきますから、前半から遅れて遅れていれば後半も伸びてこないのは当然のことです。

 

まず、スタート〜30m地点までを比較してみましょう。
08年、09年と12年、17年よりもスタートから30mまでのタイムは速いタイムで走れています。今大会では過去大会に比べても遅れてはいますが、それほど大きな遅れにはなっておらず12年の9秒63のレースとほぼ同等の通過ができています。
ボルト選手が100mのレースに出場した時には驚きでした。ボルト選手のような長身の選手はスタートが苦手な選手が多い傾向にあります。長身であるがゆえにスタートでピッチが上がりづらく、スピードに乗るまでに時間を要します。そのため、100mでは出遅れてしまいレースで勝てないと言われていました。例に漏れずボルト選手もシニアの大会も200mを中心でした。トップスプリンターに比べてスタートが得意な選手ではありませんが、レースでも遅れないよう改善されたため100mの出場機会が増えていきました。今大会でもスタートを得意とする選手には置いていかれましたが、ボルト選手の射程圏内でこの区間は走り終えています。

 

続いて、緩やかにトップギアに入っていく30〜60地点の走りです。この辺りから徐々に全盛期との違いが現れてきます。ボルト選手の最大の武器であり、レースの勝敗を決定付けると言われている「最大疾走速度」に陰りが見られました。全盛期では、60mまでに秒速12mを超えていますが(08年:1回、09年:2回、12年:1回)、今回は一度も超えていません。全盛期であればスタートでリードされたライバルを猛追し、追い越し始める局面ですが、今大会では抜け出すことができませんでした。60mの通過も全盛期では、6秒3台でしたが、6秒49とここで0.2秒弱の開きが出てきています。

トップスプリンターは60m前後で最高速度に達しますが、全盛期のボルト選手はさらに加速します。08年では60〜80m地点、09年、12年では80m地点で最高速度に達しています。全盛期では60m付近で追いついたライバル達を一気に置き去りにし、大きくリードを奪う局面です。今大会では、60m地点で最高速度に達し、70m地点までは維持できたもののその後減速。全盛期に見られた80m地点でも見られた最高速度は見られませんでした。また、秒速12mを超えていたスピードも秒速11.76mと物足りないものでした。

 

最後に、レース終盤となる70m〜100m地点です。この区間は、どんなスプリンターも減速をします。ボルト選手がゴールまで加速し続けているように見えるのは、この減速の幅が非常に小さいためです。この30m区間のタイムは08年では2秒55、09年では2秒48、12年で2秒46でしたが、今大会では2秒61でした。両手を大きく広げながら走っていた08年に劣るものでした。今大会では、アメリカのガトリン、コールマンと前半を得意とする選手に先行されました。全盛期であれば中盤で追いつけるのですが、その差がなかなか埋まることがありませんでした。リードされたこともあってか近年では見られないほど上体に力が入っており、減速する要因となってしまいました。優勝したガトリン選手とは0.03秒差ですから、90〜100m区間をいつもどおり、力まずに走り切ることができていれば勝機はあったかもしれません。今まで当然の様に勝ってきた“バケモノ”のボルト選手。引退を前に人間らしい一面が見られました。

 

興味深いことに、世界記録を出した9秒58と今大会の9秒95の両レースとも100mを41歩で駆け抜けています。ストライドの変化ではなく、ピッチの低下が走速度の低下を招きました。なぜピッチが落ちてしまったのか?フィジカル的な問題がなのか、スキル的な問題なのか・・・個人的な印象では30〜60mの加速区間でピッチが上がりきっていないように感じました。これについてはもう少し検討してみたいと思います。

長々と区間タイム等を比較してきましたが、ボルト選手の敗因を3つあげるとすると、

①最大の武器である最高速度の低下

②ピッチの低下が最高速度に影響した

③ボルトも人の子であった

 

今大会で引退を表明しているボルト選手。人類の可能性を私たちに見せてくれました。引退は名残惜しいですが、トラックの上でも、外でもスターであったボルト選手の輝かしいキャリアに心から敬意を表したいと思います。